「성주사 낭혜화상탑비」의 ‘得難’과 ‘五品’ 재검토

<聖住寺朗慧和尙塔碑>の‘得難’と‘五品’の再検討

초록

崔致遠撰<聖住寺朗慧和尙塔碑>の‘得難’條は、新羅人が自國の身分構造を包括的に言及した唯一の史料である。ここでいう‘國有五品’の實體については、多樣な解釋があり、見解が對立することもあった。もっともひろく受け入れられてきた解釋は、‘五品’を‘聖而(聖骨)-眞骨-得難(六頭品)-五頭品-四頭品’と理解するものである。一方、‘聖而’と‘眞骨’のあいだにある‘曰’という文字は追刻されたものである点が指摘されており、‘聖而眞骨’を一つの品とみなし、‘得難’を六頭品とは別の品と解釋する見解も提起されている。しかし、撰·書者の意圖とは關係なく、該當部分に‘曰’を刻まなければならない合理的理由は見當らないため、追刻という事實のみで該當する文字を排除することはできない。‘得難’條の性格が、朗慧和尙の父範淸が眞骨から一等級‘族降’して屬した得難という身分を說明するために記した註釋であるという點からも、六頭品を得難と別の品と理解する解釋は、文脈からみて整合的とはいえないであろう。結局‘五品’のうち、上位の三つの品は、それぞれ聖而, 眞骨, 得難=六頭品と理解するのがもっとも自然である。 ただし、ここでの六頭品とは‘六番目の頭品’という意味ではなく、‘六つの頭品’という意味であり、一頭品から六頭品にいたる頭品全體を示すものと考えられる。‘數多爲貴, 猶一命至九’という說明が、三番目と四番目·五番目の品すべてに該當するのではなく、‘六頭品’自體を對象にしているからである。得難條で四番目と五番目の品を“言うに足らず”とし、言及しなかったにもかかわらず、旣存ではこれらを五頭品と四頭品と否定し、一頭品~三頭品はこの時期すでに消滅していたと理解したのは、興德王9年に下された、色服·車騎·器用·屋舍に關する禁令が、‘眞骨-六頭品-五頭品-四頭品-平人·百姓’の構造に基づいていたからであった。しかし、興德王の禁令は身分自體に對する規定ではない。すなわち唐文宗の詔勅に影響を受け、奢侈を禁止しようとしたものであって、身分はその等級を基準に提示されたのみに過ぎない。ここにあらわれないといって、身分自體が當時消滅していたと見ることはできないのであって、等級の基準を示す最後尾にあたる‘四頭品至百姓’は四頭品と百姓のあいだに一つ以上の階層が存在する可能性がある。 結局、崔致遠が認識していた新羅の身分構造とは、聖而, 眞骨, 得難と、名稱が不明な下位の二品で構成されており、このうち、得難は一頭品から六頭品に至る六つの頭品を包括的に示したものと判断しうる。

키워드

身分; 朗慧和尙碑; 五品; 骨品; 頭品; 眞骨; 得難; 六頭品; 興德王 禁令
제목
「성주사 낭혜화상탑비」의 ‘得難’과 ‘五品’ 재검토
제목 (타언어)
<聖住寺朗慧和尙塔碑>の‘得難’と‘五品’の再検討
저자
이재환
발행일
2015-12
저널명
木簡과 文字
호
15
페이지
129 ~ 147